春島の海域に入った航海は穏やかなものだった。あたり一面の海と空の青に囲まれ、潜水艇は記録指針の指し示す方向に向かい、順調に海面を走る。
しかしいくら海域に入ろうともここは偉大なる航路。突如として前方に現れた濃霧に、ハートの海賊団は一度その歩みを止める。
「突っ切るべきか…」
「ただの霧ならいいっすけどねぇ。なにが中にあるかわからねぇし…」
「なら一度潜らなくて?…あら?」
「何だ?」
「あぁ、貴方達には見えないのね。船が霧の中からこっちに向かって来るわ」
がそう言って指で指し示した方向を、ローとペンギンは目を凝らし見つめるが、ぼんやりと何かがある、様な気がする。といった程度でそれが船かどうかは、彼らは確認しようがなかった。
唯一その船を目視出来るは、ジッと目を細め、いったい何の船なのかを観察する。政府だろうが海軍だろうが、その主張は旗や帆で行うのが一般的である。見極めるならば旗を見るのが一番早い、と彼女ははためくそれを見つめる。
そしてその船に掲げられていた白い旗に刻まれていたマークは、図形とも文字ともとれる、直線基調で描かれた単純に見えるマークだった。それにははっと破顔させる。
「あの旗…、ルーン文字だわ…!」
「………げ」
「…おいまさか」
「何よ二人とも!久しぶりの旧友との再開になるのに!」
嬉しさを隠す気もなく毒気のない笑顔を振りまくと、それとは真逆の赤ら様に嫌なものが来たと顔で語るローとペンギン。その三人の様子に、一体何事かとクルー達がわらわらと船首へと集まってくる。
その間に、濃霧を抜けた船は誰の目にも映るほど近くまでやって来ていた。
「げ、ルーン海賊団!?」
「…って、そんな有名な海賊なのか?」
「あぁ、お前うちに入って間ないから知らないのか。あいつはな…」
「!!」
突如聞こえた大きくも甲高い頭に響くその声に、甲板にいた誰もが瞬時に口を閉ざした。
しかしだけは欄干に前のめりになりながら、その声の主へ応える様に大きくてを振った。
しかしハートの海賊団の潜水艇よりも二周りは大きいであろうその巨船から、声の主は伺う事はできない。
「アリスー!」
「きゃーん!!久しぶりー!そっち行っていい!?」
「ダメだ」
「あんたに聞いてないわよ鬼畜外科医!!」
「これはおれの船だ」
「なら私があっちに行くわよ?」
それでいい?と不適に笑んでみせるは、明らかにローが折れる事を承知でその言葉を言ってのける。
ローとしては彼女のその思惑に乗る事は非常に癪に障るが、それでも彼女の求める言葉を紡ぐより、他の選択肢などあってない様なものだった。
「てめぇ一人だけの乗船を許す!来やがれ!」
「はいはーいもとよりそのつもりよ!」
投げやりに聞こえるローの言葉に、甲高い声は軽快な返事を返す。
そしてすぐさま潜水艇の横に付けられた巨船からドサリと降りて来たものは、縄梯子ではなくピンク色をしたフワフワした塊。
「お邪魔するわよ」
塊ではなく、ピンク色をしたフワフワの髪をツインテールにした、満面の笑みを浮かべる女だった。
大きな丸い瞳が特徴的な甘い顔立ちと、豊満な胸に引き締まったヘソ出しルック。女性の魅力を引き出すフリルをふんだんにあしらった服は、彼女の為にあるといわんばかりに良く似合っていた。
彼女を初めて見る新参のクルー達は、突然降って湧いた美女に歓喜めいた声を上げる。
「会いたかったわー!」
「私もよアリスー!」
突進するように抱きついた彼女をはやすやすと受け止め、そのまま彼女を抱きしめたままクルクルと回り出す。
その様子を見て、なぜ嫌がっている古参が多いのか察したクルー達は、皆一様に納得した様に二人の様子を据わった目で眺めた。
しかし感動の再会劇もつかの間。ローに肩を掴まれたは動きを止める。
「いい加減にしやがれルーン屋」
首根っこをローに掴まれ、バリッと音がしそうな勢いで引き剥がされた、アリスと呼ばれた女は不満げに頬を膨らませローを睨みつけた。
「屋号で呼ばないで!アリスって呼んでよね!!」
「うるせえキャンキャン騒ぐな」
「こんの人を犬みたいにいぃぃ!!」
「すんませーん置いてきぼり食らってるんでその子紹介してくださーい」
「そーだそーだー!」
一触即発と睨み合っていた二人は、一部のクルー達の囃し立てる言葉に、暗黙の了解の様に一時休戦するために同時に目を離した。
そしてアリスはクルー達に勢いよく向き直ると、キリッとした強気の笑みをその顔に浮かべ胸を張る。
「良いわよ、教えて上げましょう!私はアリス。フェアツァオバーン・ツンクフト・D・アーデルハイト・リヒト。名前無駄に長いからアーデルの愛称のアリスで大体の人は呼ぶわ。海の情報屋でとは昔馴染みよ」
「海賊の間違いだろルーン海賊団船長、ルーンの魔女アーデルハイト・リヒト」
「政府が勝手に海賊扱いしてるんであってうちは海賊旗は掲げてませんー!」
「その割に手配所はお尋ね者じゃなくて探し人、ミッシングなのよね。世界唯一のアライブオンリー。なんだか政府も矛盾してるわよねぇ」
次々と明らかになるアリスの常軌を逸した素姓に、思わず感嘆の声を漏らす者が多いことに、アリスはふふんと得意げに更に胸を張ってみせる。
「そして何を隠そうを誰より知っているのはこの私!いつだってヘッドハンティングしているわ!」
「それで毎回フラれてんだろ」
ローの吐き捨てた言葉に、一瞬ピシリと動きを止めたアリスだったが、すぐに涙目になりながらまたしてもに突進するかのように抱きつき縋った。
「何でなのよー!うちの方が絶対待遇いいわよ!?」
「うふふそれはね、飲み干してしまいそうなのが怖いからよ、可愛いアリス」
デレデレと特有の女性だけに見せる緩みきった顔を彼女に向け、ピンク色のフワフワした髪を優しく撫でる。
その様子を明らかに気分を害したローが冷ややかな目を向け、またしてもからアリスを無理矢理引っぺがした。
「とまあ、船長の機嫌悪くなるわ修羅場になるわで、うちはあんまりあいつを歓迎しない。目の保養にはなるけどな…」
「因みに船長があそこまで敵対心対抗心剥き出しにするのも、アリスにだけだ」
そうして乗船員全員が事情を把握したところで、渦中の三人以外はただ遠い目でその光景を見守る他なかった。