船上戦が行われた後の船内は慌ただしかった。
先ほどハートの海賊団を襲った海賊船には、数人の賞金首が乗船しており、億越えルーキーの船長が率いるハートの海賊団でさえも、手こずる程の猛者であった。
何とか勝利を収めたものの、負傷者を数名出し、彼らは迅速に治療室に運び込まれた。
しかし此処は最新の設備と腕の確かな船医の乗る船だ。負傷者も直ぐに治療を受け大事には至らなかった。
そして安心しきったクルーたちに待ち受けていたのは、血塗れとなった甲板と船内の一部の清掃作業だった。
慌ただしくモップを動かすクルー達を、同じくモップを持ったは、ふう、と一つ疲れた様にため息を吐いてから見渡した。
「手が止まってるぞ」
「掃除道具すら持っていない人に何も言われたくなくてよ」
隣に現れた今回の戦闘の一番の功績者にしてこの潜水艇の船長のローに、は文句を零しつつ自分の持つモップを彼に押し付けようとしたが、やんわりと返される。
「治療室にいなくていいの?」
「命に別条はねぇ」
「医者の貴方が言うならそうなんでしょうけど…」
「急にあの世行き、なんて事にはならねぇよ」
「それ極端過ぎなくて?…に、しても意外ね。貴方からあの世、なんて言葉を聞くなんて。信じてる?」
はた、と気づいた様にローは一瞬目を見開き、それから考える仕草を見せたが、直ぐに否定の言葉を口にした。
「言葉の綾だ」
「ということは無いと?」
「信じちゃいねぇ」
「そう。賛同しかねるわ」
「それこそ意外だな。死なねぇお前が。あの世はあると?」
僅かに見下したかの様な声色でそう言ったローに、瞬時に真顔になったは真っ直ぐ射抜く様に彼に目を合わせた。
ほんの戯れのはずだったやり取りの合間に、この様に真剣な目つきになるという珍しい事態にローは内心たじろいだが、表には出さずただ真顔で見つめてくるを、同じく真顔で見つめ返した。
「何だ」
「ねえ、ロー。私にとってこの世界こそが、死後の世界よ?」
「!………それは、…屁理屈だろ」
「屁理屈でも、よ。私にはあって、他の人にないなんて、そんなの不公平じゃない。私は俗世の罰を受けることすら拒否されて、未だ俗世で苦行をしいられているのに。不公平よ」
「…お前、その成りで仏教徒か?」
「一つの例よ」
当然私は無宗教。と呟いたは目を瞑り肩を竦めて見せた。
「私が言い出しといて何だけど、宗教絡み話は良くないわね。私が、悪魔の一種が言うと、どうにも論が薄っぺらいわ」
「別に厚い話がしたいわけでもないがな。最後に一つだけいいか?」
「どうぞ?」
「今でも俗世は苦行か?」
ニヤリと悪どい笑みをその顔にたたえたローの言葉を聞き、答えを口ごもったは、気まずそうに目を伏せる。
そんなことはない。その言葉を直ぐに聞けると思っていたローは、心に苦いものが走ったのを感じつつ、黙りこくってしまったの頬に手を伸ばそうとしたが、触れる直前で彼女の手に掴まれそれを阻まれる。
「貴方をいつか見送る現実が、苦行以外の何でして?」
「…」
「いくら私が希薄だからって、それに慣れる事なんてないのよ」
むう、とむくれて顔を逸らしてしまったは、掴んでいたローの腕を離し、モップを両手で掴んで床を擦りはじめる。
「与太話は終わり。仕事にお戻りなさい」
「おれに命令するんじゃねぇよ」
そう言いつつも、不快さは微塵も見せず、毒気の抜けた笑みを浮かべたローは、彼よりも頭一つ分ほと下にある、の頭をポンポンと軽く叩く様に撫でた。
祈る先の彼方は此方
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