その日、眠っていたを目覚めさせたのは、船の大きな揺れだった。
不本意な目覚め方をしたは、何が起きたかを確認するために、自室から出ようとドアを開けた。すると、寝惚け眼の彼女の視界に入った物は、廊下ではなくオレンジ色をした壁だった。


「…?」
「お、おはよう


の頭上からした声に顔を上げれば、白いモフモフの毛に覆われた熊の顔だった。そこではじめては壁ではなくベポの体だったことに気がついた。


「おはようベポ。どうかしまして?」
「結構揺れたでしょ?えと…気候が安定してない割に日差しが強いから今日は甲板には出ないでってさ」
「あら、そう…」


今日び陽の光で灰になることはない吸血鬼だが、強すぎる日差しは火傷を引き起こす。
は少し残念そうに目を伏せたが、いつまでたってもその場から動こうとしないベポを不思議に思い、もう一度彼を見上げる。


「…どうかしまして?」
「え!?なにが?」
「まだ何かあるの?」
「えっと…ともうちょっと話したいなって…!中はいるよ!」
「…?ええ、どうぞ」


は働ききらない頭で、ベポの言葉のままに、二人で月明かりの差し込む部屋へと入る。その可笑しさに脳が半分眠った状態のが気づくことはなかった。





話を少し遡る。
真夜中にも問題なく通常通りの航海を続けていた潜水艇だったが、船員の一人が、船への侵入者を見つけたことにより、一変する。

船の倉庫で蹲る様にして眠っていた女を、発見した船員が彼女をどうすべきか、一瞬迷ったことで、眠りから覚めた女は船員の鳩尾に思い切り拳を減り込ませ、その場から逃げ去った。
しかし手練れぞろいのこのハートの海賊団で、彼女の逃亡も長くは続かなかった。しばらくの戦闘の後、戦闘不能になった彼女を縄で縛り付け甲板へと移動させた。
女は整った甘い顔立ちに一心に凄みを効かせようと一心にローを睨みつけている。
可愛らしい顔に似合わずどこか強気。あぁの好みだと船員たちは一様に心中で呟いたが声にする者はいなかった。


「それで、この船に何の用で侵入した」


船員たちを背に、船首に縛られたまま座らされている女を見下ろしながらローは問いかけた。


「宵闇のはどこ?」


女の口からこの海賊団の紅一点の名前が出た瞬間、ローの纏う空気が一瞬にして冷え込む。
冷たい視線を一身に浴びた女がゴクリとツバを飲み込む音がほんの小さく響いた。


「ベポにの足止めに行かせたのは間違いじゃなかったか…。つまりお前は、一度の餌になった。そういう事か」
「餌なんかじゃないわ。は私は特別だって言ったもの!」
「誰にでも使う常套句だ。こうなるとあいつの食料漁りも考えものだな…」
「彼女はどこ?会わせて!」


縄を解こうともがく彼女を、ローは冷ややかな目で見下ろした。


「だいたい、何でこんな男しかいない船に彼女が乗っているの?ちゃんと食事はできているの?が可哀想だわ」
「てめぇは知らなくて良い」
「あんな良い人が海賊なんて…あなたが無理矢理乗せているとしか…!」


スラリという音と共にローによって抜かれた彼の長刀が、女の首にヒタリと当てられた。女は言葉を無理矢理に飲み込む。


「何もかも、てめぇは知らなくて良い事ばかりだ」


振り上げられた剣に思わず女は目を瞑ったが、衝撃はいつまでも来ず、代わりにした遠ざかる足音に、薄っすらと目を開ければ、彼女と船員たちを背に甲板を去ろうとするローが目に入った。


「おいお前ら、あいつを手術室に連れて来い」
「どうするんですか?」
「望み通りの糧にしてやる。死なない程度に血を貰っておく」
「あー…、はいはいー…」
「次の島で下ろす。命を保証してやるだけ文句は言われる筋合いはねぇ」


それでもまだ、に会わせろと叫ぶ女をよそに、ローは一足先に手術室へと足を進めた。





朝日が昇り習慣通りに目が覚めたは、真夜中に妙な事を口走っていたベポの記憶を不可解に思いつつ、朝食を取るために食堂へと向かっていた。
その途中にある船長室から、彼女が通り過ぎる前に、普段より目元の隈を深めたローが丁度出てきた。


「あらおはよ…、随分と眠そうね」
「いつもの事だ」
「ん…?誰か怪我でもしまして?」


の急な質問に眉根を寄せてローは彼女を見下ろせば、は考えるように瞳を上向かせ、息を軽く吸い込んだ。


「嗅いだ事ある様なないような血の匂い…貴方からしてるわね。誰かの手術でもした?」
「夜中にちょっとな。手術って程大袈裟じゃねぇよ」
「ふぅん…?」


何でもなさそうに欠伸を咬み殺しながら言うローをマジマジと見つめ、本当にたいした事ではないのだろうと、はそれ以上追求はしなかった。


「そういえば夜中といえば、ベポが夜中なのに日差しがどうって言って部屋にいた気がするのよね」
「…夢だろ」
「やっぱりそうよね…?」


自分の中の曖昧な記憶を辿るかの様に、腕を組んでうーんと唸る。だが結局得たい答えが出るわけでもなく、はふぅと軽くため息を吐く。
そして彼女が考えるのを諦めたころにローがに問うた。


「お前、前の島で何していた?」
「何藪から棒に。賞金稼ぎの可愛い女の子がいたから、襲われる前に襲ったわね。案外いい娘だったわ。おかけで結構話し込んじゃった。そこに時間取っちゃったから、後は雑貨屋の看板娘が可愛かったからちょっと連れ出したくらいだったかしら…。えーっと…」
「………」
「自分で聞いておいて嫌な顔しないの。で、それがどうかしまして?」
「いや。そいつらの血の味や匂いってのは、一々覚えているか?」
「あぁ…いいえ。流石に多すぎるもの無理よ。はっきり覚えてるのは貴方だけでしてよ?」


言わせたかったのはこれね?と困った様に眉をハの字にしては微笑み、それを聞きローは勝ち誇ったかの様に不適な笑みをその顔に称えた。



その存在をひた隠す




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