目の前に真っ黒で模範的な棺があった。
その棺の蓋は開かれており、中に入っている大凡死体とは思えない人物の容姿がよく見えた。
真っ黒な喪服のドレスを着て棺に横たわる彼女は、長い睫毛に縁取られた目を閉じ、ふっくらとした魅惑的な唇を閉ざし、抜けるように白い象牙色の肌と、絹糸のように柔らかな穢れを知らないプラチナブロンドの長髪を、黒の薄いヴェールで隠している。
女性特有のおうとつがハッキリした身体のラインは全く上下しないことから、やはり彼女は死んでいるのだと伺える。
棺の中の彼女は、紛れもなく私だった。
あぁこれが俗に言う幽体離脱か、と半ば他人事の様に思いながら、自分の手を光にかざして見れば、案の定その手の向こう側が見て取れた。つまり、透けている。
奇妙な体験をしている割には、存外落ち着いて自分自身を見ることが出来た。
不意にバタン、と重い大きな扉の閉まる音が背後から聞こえた。振り返れば数人の喪服を身に纏った男が、大形な扉から入ってくるのが目に入る。
そこではじめてここが教会だった事に気づいた。辺りを見渡せば一般的な教会の内部が目に映る。棺は祭壇に設置されていた。
数人の男達は彼らを見ている私に気づくことなく、何やら話し合い、そして、まるで死体とは思えない陶器人形のような私の入った棺の蓋をしめ、それを担ぎ上げると、教会の外へとゆっくりと歩みだした。
あぁ、そうだ思い出した。
『待って!連れて行かないで!』
必死になって伸ばした手は、誰かにしっかりと握られた。
*
目を開ければ、いつもの見慣れた潜水艇の私室の天井と、そしてあまり見慣れない困った様なこの船の船長の顔と、彼によって握られた私の手が目に入った。
「ロー…?……婦女子の寝室に、許可なく、入るものでは…なくてよ」
「第一声がそれか…」
呆れた様に苦笑するローは私の頬に手を添え、目尻を拭う様に親指で撫でた。その時初めて感じた水滴の感触に、自分が涙を流していることにようやく気がついた。
「悪夢か?」
「悪魔が悪夢なんて笑えなくてよ」
「それでも、魘されてたぞ」
「ほんと笑えない…。起こしてしまったかしら?」
「いや…」
ベットの端に腰掛けるローを支えに、上体だけ起こした私は、そのまま彼に寄りかかる。
「初めて死んだ時の夢を見たわ」
「だろうな」
そう、私が魘されている時は大概がこの夢が原因だ。一度や二度ではない何度でも再生される、最悪の出来事の夢。
あの日自分が何処に連れて行かれたなど知る由もない。それでもただ一つ分かることは、あの時連れて行かれなければ、私が今この時代に生きてはいなかっただろうということだ。
「これだけは何度見ても堪えるわ…」
「その度役得を与えられるなら、悪くはねぇがな」
「貴方ね…」
息がつまり同時に言葉もそこで詰まってしまった。今だ無意識に流れる涙がそうさせるのだと気づき、堪える為に目をきつく瞑った。
「…そこまでつらいとは、話を聞くだけじゃ思えねぇな。連れていかれたのを見ただけだろ?」
「そもそも私は本当に連れて行かれたのかしら?あの時見たものはただの夢だったかもしれないわ。それでも私は確かにあの時、人間として死んだはずなのよ。そこで終わるはずだったのに、気づいたらこんな身体になって、…どうして続いているの?何で生きてるの?何で私だったの?分からないことが一番怖いのよ…」
こんな事を彼に言って何になるのだ、ただ困らせてしまうだけだろうと後悔しても、吐露した言葉を戻すことは出来ない。
自己嫌悪に陥りながら、彼に寄りかかっていた身体を離し、項垂れながらも手をついて身体を支える。
「ごめんなさい。…聞かなかった事にして」
「…」
「ん…?」
肩を掴まれ、少し上にあるローの顔を見やれば、思いの外真剣な面持ちの彼が目に入った。
「起こった事は今更どうしようもねぇ」
「…そうね」
「おれに何が出来るわけでもねぇから、お前の不安は…聞かなかった事にしておく。今は」
「……」
「だが未来は、…おれが、必ず紡いでやる」
「ロー…」
「過去がどうでも良くなるほどの思い出を、これから与えてやる。いくらでも」
真剣に、硬い声色で紡がれる彼らしくもない言葉に、そしてその真摯さに、気づけば私は自然と微笑んでいた。
「頼もしくなったわね」
「いつまでも与えられるだけのガキじゃいられねぇよ」
「ふふ…」
もう一度彼に寄りかかり、安堵感から力を抜いて目を瞑った。
恐ろしい過去はなかったことにはならない。長年生きたことで刻まれたトラウマだっていくつか存在する。
それでも彼がいることによって、未来は、輝かしいモノであると、希望を抱かずにいられない。
そう思わせてくれる人物と出会えたことは、きっと今までの人生のなかで、一番幸せなことなのだろう。
希望を重ねる未来への道標
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