見慣れた立ち姿に見慣れた装い。見慣れた整った相貌には、怒りの色が滲み出て、普段から寄せられている眉根は更に皺が深く刻まれている。
それでも、まだこの島にいた。そう思えばドッと安心感が心中に押し寄せた。
「まだ、いてくれたのね。この島に」
「…それは皮肉か?」
不機嫌を隠そうともしない声色で冷たく言い放たれた。どうやらまだ花畑での出来事を根に持っているらしい。
しかし久しぶりに見る、寛容を忘れたどこか拗ねた様な彼に、思わずふっと笑みが零れた。
「だから…何で…!!」
呻くように呟かれた声にハッと気を張り詰める。まだ安心するのは早いようだ。
力強く握った拳をわなわなと震わせながら、神父はローを睨みつけていた。
「お前のような、彼女のことを何も知らない人間が何故邪魔をする!私は彼女を守る術を知っている!彼女が頼れるのは私だけだ!」
「…お前こそ、『』の何を知っている」
「傷つけるもの、回復させるもの、全て知っている!」
「そんな表面はどうでもいい。何をすれば琴線に触れる?何をすれば逆鱗に触れる?」
「それは………!」
「答えられねぇなら他の吸血鬼を当たれ。いるかどうかは、知らねぇがな」
サク、と草葉を踏みしめローが一歩踏み出したと同時に、私も立ち上がろうとするが、上半身にサッと寒気が襲いその場に片腕を付き留まざるをえなくなる。どうやら血を流し過ぎたらしい。
私の異変に気づいたローが歩調を早めた時だった。
「ルドルフ!私達を連れて逃げろ!」
神父の声に勢いよく顔を上げたルドルフは、酷く困惑した表情を私に向け、それでも意を決した様に私と神父をかたに担ぎ上げ、そのまま走り出した。
後方からローが能力発動の言葉を唱える声が聞こえたが、スピード勝負ではルドルフの勝ちだ。
今朝と同じくみるみるうちにローから引き離されて行く。
「ロー…!」
無意識に紡いだ彼の名は、きっと届かなかっただろう。
*
ルドルフがようやくその足を止め、私達を肩から下ろしたのは、今朝も彼によって連れてこられた崖際の花畑だった。
降ろされた場所にぺたりと座り込み、脱力する。やはりルドルフに触れるのはどうしてもいただけない。
ふと辺りを見渡せば、月明かりに照らされた花は朝とは違い、花弁がほんの少し銀色を帯びている。そして角度によってはまるで虹彩に輝くその様は、まるで私の髪の色そのままだ。
さすがにここまで酷似していると、幾ら美しいとはいえ、気味が悪い。
「何なの…これは……」
「この花はね、昔君の髪を肥料にして蒔いたらしい。そうして出来た特殊変異だ」
「いったい何の為にそんな面倒なこと…」
私を研究していた彼の祖先というのは、随分と奇妙なことをしたがったようだ。目の前に広がる銀の花はそれは美しいが、初めからこうなる事を予想出来たわけでもあるまい。
「さぁ、ね。…初めは観光地として一般人もよく来たらしいよ。でも、この花は人を狂わせる」
「…?」
「ここにいすぎるとね、離れたくなくなるんだ。人を魅了して虜にする。そうやって囚われた人達が幾人も死んだ。でも誰もこの花を根絶やしにする事は出来ない。その前に魅了されてしまうから。だから地盤沈下を切っ掛けにここを立ち入り禁止にしたらしい」
自分の予想は少し当たっていた。言い方からして、ここを囲ったのは彼ではなかったようだが、やはり地盤沈下はただの切っ掛けに過ぎなかったようだ。
先ほどルドルフに運ばれた際に開いた傷口から、血が背中を伝い、身体が冷たくなるのを感じながら、ただ黙って神父の話に耳を傾ける。
「君自身だって、いや、君自身こそそうじゃないか?人を魅了して、虜にする。そうやって人を狂わせる」
「…、……」
「彼だってそのうちの一人なんだろう?そして彼は強い。だから逆に君が囚われた」
違う。なんだその都合のいい解釈は。そうじゃない。否定の言葉は、ただ口からヒュッと息が漏れるだけで紡ぐことが叶わなかった。
ズルズルと落ちるように、土に汚れるのも気にせずその場横たわる。霞んで来た視界に、銀の花が映る。
私は重力に従うようにゆっくりと瞼を閉じた。
これは、一度死ぬかもしれない。
血が足りない。喉が酷く乾き、そして疼く。
「私は望んで君に狂った。大丈夫、これからはずっと守ってやるさ『ルーナ』」
『ルーナ』
神父が言った言葉と同時に、何故か頭に直接響くように鮮明な、酷く聞き覚えのある、そして聞きたくもない低い声が聞こえた気がした。
『ルーナ』
ここに居るはずがないと分かっていても、頭に響く声はただ私に怒りを思い起こさせる。
そして脳裏を横切った桃色の羽を纏うシルエットに、気付けば痛みや寒気、全身に襲う怠惰感も忘れ、私はゆらりと立ち上がっていた。