次に目を覚ましたのは、月も高々に輝く頃だった。
相変わらず気分が悪いが、怪我の痛みは多少マシになっている。銀で出来た傷にしては早過ぎる事に疑問を覚えたが、どうせ考えたとこらで分からない事を考えるのは直ぐにやめた。それに、所詮は多少である。酷く痛いものは酷く痛い。
薄っすらと開けた目に月が映される。先ほどは何処とも分からないほどただっ広い、天井だけが見える場所に寝かされていたが、今は窓の近くだ。
「月の光の恩恵は顔色を良くするって資料に書いてたけど、そうでもないね」
「…居たの」
「離れないさ」
「さらに気分悪いからそういう発言はやめて。なぜ私に執着するの」
執念、と言っても良い気がする。
私が苦手とする人狼を従えていたこと、銀の弾の入った銃を持っていたこと、仲間が助けに来づらくなるよう海軍を手配していたこと、そしてこのちょうど良過ぎる大きさの棺。
きっといつか私が来たときの為にと、入念に準備していたのだろう。本当に来るかどうかも分からないのに。
「ずっと資料にある吸血鬼に惹かれていたんだ。ずっと、強いのに脆い彼女を、どうやって守れるかばかり考えて生きてきた」
「こんな事しておいて、守るなんてお笑い種だわ」
「そんな事ないさ。日の光に弱い君が海に出るのは自殺行為だ。こうでもしないと行ってしまうだろう?」
確かに航海中は甲板に出れば陽を遮るものがない。日差しが強過ぎる日は、何日も部屋に篭り不自由することもある。転覆すれば逃れる術はない。
「それでも、私は行くわ」
「ここに居れば安全だよ大丈…」
「肉体は安全でも精神が死んでしまうもの」
ローは、故郷に帰るという唯一の心の支えと、人の世には生きづらいこの身体も、どちらも守ってくれようとした。
考えるほどに、早々に帰らねばと想いが溢れ出す。又しても彼は怒った上に呆れてしまうだろうけれど、それは甘んじて受けよう。ただそれだけのことで癇癪を起こす私も悪い。そして何より大人気ない。
「彼の船はもうこの島にはない。諦めてくれ」
「居ないなら追いかけるまでよ」
「…っどうして、わかってくれないんだ!君には、私が必要なのに…!!」
棺を覗き込む神父は、必死の形相で私を見つめるが、まるで心は揺るがない。むしろ彼が必死になればなるほど白けていく。
資料の中の私は、そんなにも魅力的だったのだろうか。ここまでの行き過ぎた思い込みは、いっそ彼が哀れに思えてならない。
度し難い。この言葉が一番しっくりくる。
いくらなんでもそろそろ退場しようと、何とか背中に力を入れないように、神父を避けつつゆっくりと上半身だけを起き上がらせる。それだけで息も絶え絶えになってしまった。
どうやってここから逃げだそうかと辺りを見渡せば、思っていた以上に広く薄暗い教会の内部が目に飛び込む。
これだけ広いというのに、私以外には神父しかいない。
そう、神父しかいなかった。勿論礼拝堂だけではなく、居住空間もあるのだろうが、一抹の不安が過った。
「ルドルフは…?」
「………君を解放しろって言うからね。ちょっと説教したよ」
「…あえて聞くけれど、本当に説教だけ?」
「傷つけたところで直ぐに治るよ」
「なんてこと…!」
私も傷の治りは速いが、だからといって痛くないわけがない。恐らく彼も同じだ。昨日もローにただ頭を掴まれただけで随分痛がっていたのだから。
だいたい直ぐに治るからといって、子供を殴るような事が許される訳がない。そんな事があってはならない。
キッと神父を睨み付ければ、どこか虚ろな目をした神父が歪んだ笑みを浮かべる。
「それに、君を手に入れる為に使えると思って育てていたんだ。もう用はないよ」
「それで次は私を盾に権力を振りかざそうって?冗談じゃなくてよ!」
声を荒げたと同時に、私は自らの紫の瞳を真紅に染め、神父の目を射抜くように睨みしっかりと合わせた。
「一歩も動かないで。指一つ動かさないで!」
「……あぁ」
有無を言わさず相手を従わせる能力「命令」。
ただしこの能力は使った後、相手が私に対する依存を大きくするため、彼のような人間には使いたくないのだが、ここにいるのはもうこの能力を使ってでも遠慮したい。
「ルドルフは何処にいるの?」
「外だ。…、森のなか…」
命令の効果がきれるのは早い。彼が正気を取り戻す前に、一刻も早くここを離れなくてはならない。
傷を庇いつつ、出来るだけ衝撃を抑えるために慎重な足取りで出入り口であろう扉へと踏み出した。