『なあ、
『何でして?』
『何でそこまで、故郷に帰りたいんだ?』


問いかける彼が見せる真摯な瞳に、はぐらかすことも茶化すことも許される場面ではないとすぐに察した。
今までも私にその理由を聞ける機会など、いくらでもあった。それを今、随分と大きくなった彼が聞くからには、何か理由があるのだろうか。


『私がきっと、唯一の生存者だからよ。私には、故郷がいったいどうして、たどり着くことが困難になったのか、知る義務がある』
『………』
『未来に何の希望も見出せない私が生きていられるのは、その望郷の念があるからよ』


お分かり?そう言って小首を傾げて見せても、未だ彼はその揺るがない真摯な瞳を私に向け続けている。
それに加え、どこか緊張した面持ちなのは気のせいだろうか。

『なら、辿り着けたら、どうするつもりだ』
『そうね、後残っている願いは、人間に戻ることだけれど、これは辿り着ければもう良いのかもしれないわ。…、さっき言った通り、未来に希望がないのだもの。きっと首を落とすわ』
『そうか』


彼はそう呟くと、一つため息とも深呼吸とも取れる吐息を漏らし、意を決したように私にずいと一歩詰め寄った。


『それならお前に、おれの未来と希望をやる』
『は…?』
『故郷に連れて行ってやる。だから、それまで側に居ろ。それからは、おれの子を産んで、おれの帰る場所になってくれ』
『………………?』
『好きだろ?子供』


唖然としてしばらく声が出なかった。
彼の事は弟か、もしくは息子のように思っているし、彼も姉か母かと思って慕ってくれている。その考えが今まさに打ち砕かれてしまったからだ。
それに好きだ愛してるといったものを全てすっ飛ばした上で、子供を産め。である。という事は今のは所謂プロポーズというものだろうか。
どうして私に?彼はついに私に、吸血鬼に惑わされてしまったのだろうか。
幾つもの疑問が頭を過ぎり、ただ呆然と立ち尽くす私に、痺れを切らし眉間に深くしわを寄せる彼が口を開く。


『おい
『…ねぇ』
『あぁ』
『そうやって、私を現世に留めようって?随分と残酷じゃない』
『そうだな。おれのエゴだ』
『永遠にも似た時間を、貴方の子孫を見守る事を希望に変えて使えって?』
『そういう事になる』


馬鹿げた話だ。
非常に困難ではあるものの、たった一つ願いを叶えてくれたくらいで、本当の意味の永遠を捧げるなど、いくらなんでも行きすぎたお人好の所業だ。私には出来ない。

だが、行き着くと決まったわけでもなければ、彼が死んだ後は私の勝手だ。彼の言葉を守らずとも責める人間はいない。
それに、たかが人の一生だ。私には一瞬でしかない。


『……いいわ。約束しましょう。だから連れて行きなさい』


こうして、まさか本当に彼の思い通りになっても構わないと思える日は近いことを知る由もなく、私のまるで海賊とは思えない目的の旅は、始まりを告げた。





人生の分岐となった、大切な過去の夢を見た割には、寝覚めは頗る悪かった。
背中はじくじくと痛み、そこを中心に身体全体に熱を帯びている。言いようのない鈍痛に、意思とは裏腹に涙が滲む。
歪む視界にちらついたのは、周囲を囲むような低い壁だった。慣れ親しんだこの感じは、恐らく棺の中だ。
脂汗がにじむ額に、髪が張り付いて気持ちが悪い。前髪をかき上げようと腕を動かそうとしたが、今は何をするのも億劫でやめてしまった。

大体なぜ、背中に傷があるのに、仰向けで横たわっているのだ。嫌がらせにも程がある。
しかしやはり動くのが億劫でしかたがない。棺の中から見える何処かも分からない妙に高い天井を、ぼんやりと見上げる。
すると、ひよっこりとルドルフが、心配そうな面持ちで棺の中を覗き込んだ。
まるで気配を感じなかった。それほど弱っているのだろうか。だとすると少し、いや、かなりまずい。


「ごめんね、大丈夫?」
「…酷いわ、貴方の父親」
「普段こんな事する人じゃないんだよ…どうしちゃったんだろう……」


きっと、彼は普段からこういう事をする人なのだ。間違いなく。
心中そう独り言ちて、ため息を吐きたかったが、背中の鈍痛に邪魔され、上手く息を吸えず顔を顰める。


「…、ここは、何処でして?」
「教会だよ。立ち入り禁止区域の真ん中あたりかな?」


怪我に加え私をお呼びでないこの教会という場所。通りで億劫なわけである。


「そう…。ロー達は?」
「海兵が大勢いるから逃げちゃった。僕海に潜る船なんて始めて見たよ」


海軍まで動かしていたとは、用意周到なことだ。
恐らく一時的に逃げただけで、まだ島の近くにいるとは思うが、何せローとの別れ際があの喧嘩だ。私を置いて出港している可能性もゼロではない。

どちらにしろ、助けを待つのは得策ではないだろう。それに、いくら怪我をしていようと、助けを待つなど私の性分ではないのだ。

どうやって脱出するか。鈍る思考力に鞭打とうとしたとき、コツコツと妙に大きく響き渡る足音が聞こえた。そうして見たくもない顔が視界に割って入ってきた。言わずもがな神父だ。


「目が覚めた?」
「むしろこれが覚めるべき夢なら良かったのにね…。彼女には手を出してないでしょうね?」
「あれからすぐ店を出たよ。何もしてない。興味もないしね」


興味もない、というからには本当に何もしていないのだろう。ほんの少し胸のつっかえが取れた気がした。
それにしても、喋り過ぎたのだろうか。脳内の酸素が少なく鈍る思考がさらに鈍って神父の言葉があまり頭に入らない。
浅い呼吸を繰り返せば、神父が私の口に布切れを押し当てた。湿った感触と独特の臭いから、何かが染み込ませてある事が分かる。顔を顰め何とか腕を伸ばし彼の手を掴んだが、思う様に力が出ずただ掴むだけで振りほどくことは出来なかった。


「少し眠るといい。大丈夫、君はわたしが守るから」


言っている事とやっている事がまるで滅茶苦茶だ。
弱った身体は薬に促されるまま、直ぐに夢の世界へと誘われた。





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