あれから数分も経たないうちに、少年から解放され、連れてこられた場所は、辺り一面に花が咲き乱れる崖の上だった。
その純白で小さくも気高く咲き誇る花の、余りの美しさに息を呑む。暫く放心した様にその風景を眺めていたが、少年に話しかけれた事により、ようやく我に返る。
「綺麗でしょ?」
「ええ、とても。この花は何という名前なの?」
「僕も知らない」
「あら残念だわ。…ユリかしら?それにしては小さい?」
その小さな花をよく見るために、腰を下ろすと、少年も私の隣にちょこんと地面に腰を下ろす。
「島の言い伝えでね、この場所で運命的な出会いをした二人は、永遠に結ばれる、っていうのがあるんだって」
「……この島言い伝え多いわね…」
「でもここ、地盤沈下が起こってから、誰も来なくなったんだけどね」
どうやらここは立ち入り禁止区域のようだ。ということは、移動中地盤沈下の跡が見て取れてもよかったはずだが、特にそのような痕はなかった。一体どういうことなのかと首をひねるが、何も知らない者が考えたところで推測の域は出ないと、すぐに考えるのをやめた。
昔はその言い伝えを使う商法で、この島は儲けていたんだろうかと、邪推していると、少年がじっと此方を見つめている事に気づく。
獣耳も尻尾も生えていない、見た目はただの人間の彼には、触れないぶんには嫌悪感も不快感もない。
微笑んで少年を見つめ返した。
「どうかして?」
「ねぇ、お姉さん」
「よ」
「じゃあ、。僕はルドルフだよ」
「そう、ルドルフ。どうかしまして?」
名前を呼べば、彼はとても嬉しそうに顔を綻ばせた。
そんな微笑ましい彼に、思わず私も笑みを深める。
「神父さんは良い人だよ」
「…あぁそう」
内容が内容だけに、一瞬にして真顔に戻ってしまう。ルドルフも私につられたように、笑顔を忍ばせ真剣に私を見つめている。
「神父さんはお父さんがわりだから、はお母さんがわりになって欲しいな」
「私を母親にしたいなら、父親はローになるわ。それだけは変えれない」
「えぇ!?やだよあの人怖いもん」
子供らしい素直な反応に、クスクスと小さく笑えば、ルドルフは機嫌を損ねたかのように、不満げに口を尖らせる。
「でも!神父さんは優しいよ。群れからはぐれた僕を育ててくれたし。僕みたいな、よくわからない生き物にも優しいし」
「人格の問題ではないのよ?」
それに、あの神父が本当に人格者かどうかというには、疑問がある。
ルドルフは騙されているのかもしれない。
しかし確証もない、昨日会ったばかりの何も知らないに等しい私のただの推測を、この神父を信じ切った小さな人狼に、言えるはずもなかった。
「それにね、会ってまだ一日も経ってない私を本当に母親に迎えていいの?酷い女かもしれなくてよ?」
「そんなことないよ。綺麗だし、良い匂いがする」
それだけが理由で良いものなのだろうかと、思わず苦笑を漏らす。
「きっと神父さんは僕がここに来たってすぐわかるよ。だから、ここでと運命的な出会いをするんだ!」
私をここに連れて来た理由はそういうことだったようだ。
ルドルフによってしかけられ、運命的とはいえずとも、彼はそれで良いのだろうか。子供らしい考えだと一蹴してしまえばそれまでだが。
それにしても口の良く回る子だ。退屈しないですむ上に、彼が人狼だということを忘れられる。
自分に男の子供が出来たならば、こうはいかないだろう。
その子はきっと父親に似て、寡黙な少年になるだろうから。
それでいて、きっともっとずっと愛おしい。
「ねぇルドルフ。私は今日島を出るわ。貴方の望みは叶えなれない」
「どうしてもだめ?」
「ええ。どうしても駄目」
そう言うと彼はションボリと俯き、押し黙る。
しかしすぐにぱっとカオを上げると、ずいと前のめりになって、私に顔を近づける。それと同じだけ私は身体を思わず仰け反らせてしまう。やはり触れそうになるのだけは、どうしても避けたい。
「じゃあ賭けようよ!ここにあの怖いお兄さんより神父さんが先に来たら、この島を離れない!」
「ちょ…人の話聞いてまして?」
余りにも横暴なその発言に多少呆れてしまうが、子供の可愛らしい我儘だ。
そう思うと同時に、この人の話をあまり聞いていない感じが、育て親である神父と瓜二つだと感じさせる。やはり生まれより育て方で、性格とは形成されるのだなと、頭の隅でぼんやりと思った。
しかし、ルドルフが何と言おうと、私は旅を続ける。私があの海賊団の船を降りるのはこの島ではない。
それに、この賭けはどうあがこうと私の勝ちだ。何せローは私のビブルカードを肌身離さず持ち歩いているのだから。どこに連れて行かれようとも、ローと私の間ではただの時間稼ぎにしかならない。
「あ、ほら!来るよ!」
少年が指差した方向に、まだ人影は見えないが、人狼の人並外れた聴力は足音を捉えたのだろう。かく言う私も、並ではない聴力の持ち主だ。複数の足音を耳が捉えた。
そしてようやく茂みの向こうから現れた姿は、予想通り私の賭けの勝ちを示していた。