真夜中まで酒場で過ごした後に、あの騒動である。当然睡眠時間は通常よりかなり短かった。
寝足りないだけが理由ではない気だるい体を起こし、一つ伸びをした所で、外から妙に騒ぎ声が聞こえる事にようやく気づいた。
見に行かずともなんとなく事情を察した私は、慌てて身支度を済ませ、聞こえる声を辿り甲板までやって来た。
そうすれば案の定、ハートの海賊団の船の甲板に上がってきた、神父と人狼の少年が、船員達に足止めされているのが目に入った。それと同時に二人は此方へと顔を向ける。
苦手とする職種と種族が同時に此方を見ているという事実は、私の顔を引きつらせるのには充分だった。
しかし人狼の彼は見た目だけはただの少年だ。触れてさえいなければ嫌悪感はなく、非常に可愛らしい存在だ。そう思うと少し表情を和らげることができた。
「やぁ、おはよう。良い天気だね!」
「貴方達のおかげで気分は真逆でしてよ」
声をかけてきた神父は私へと歩み寄ろうとするが、ベポが大きな躯体を使ってそれを阻止する。
阻止されているにも関わらず、行く手を阻むベポにはまるで目をくれず、昨日と同じく私ばかりを穴があくほど見詰める彼に、ほとほと呆れていたところに、背後からポンと肩を軽く叩かれる。
目を向ければ、隣に長刀を携えたローが、あからさまに不機嫌な顔をして神父を睨みつけ、私の隣へと立った。
「えー、と。半日付き合ってくれるんだよね?」
「そういう取引ね」
「全然歓迎されてないね?」
「するわけねぇだろ」
「うーん、ここじゃ落ち着いて話もできないなぁ。ルーナ、街へ行こう!」
「はルーナじゃないよ?」
神父を抑えるベポが耐えかねたように訂正すれば、神父はぱっと顔を明るくさせるが、反比例するように私の顔は暗くなる。
「なら、街へ行こう!」
「まぁ本名の方がマシかしら…」
正直なところ、ルーナと呼ばれるのは非常にやめて欲しい。
ここで不毛なやり取りをしていても始まらない。行きたくはないが、行くしか選択肢はない。
心にそう言い聞かせ、足を一歩踏み出そうとしたところで、未だ私の肩に手を置いていたローに、まだ行くなと言わんばかりにぐっと掴まれる。
そしてわたしが動かないのを確認してから、ローは神父へと歩み寄った。
「その前に、資料とやらを見せろ」
「今ここにはないよ」
「それでこっちが納得すると思うのか?」
「昨日は何も言わなかったじゃないか…。教会の祭壇にあるよ。なんなら全部暗記しているから、何か聞きてくれればいい……のだけれど。ルドルフ!」
「はい!」
少年は名前を呼ばれたと同時に、昨日私たちに見せたそれとはまるで比べものにならないほどの猛スピードで、私へと突進してきた。
「あんまり人に知られたくないんだよね。独占欲ってやつかなぁ」
神父の身の毛もよだつ発言にも、今はかまっていられなかった。
今まで神父の後ろに控えて、全く話す事もしなかった彼に、多少油断していたとはいえ、彼のスピードについていけない私ではない。
私へと伸ばした腕を片手で掴み、そのまま海へとめがけ投げ飛ばす。
はずだったのだが、少年に触れた瞬間、またしても襲われた身体を這い回るような嫌悪感と不快感に、思わず力が緩まったのを見計らい、少年は一瞬にして私を肩へ担ぎ上げた。
みるみるうちに吸血鬼の本性が現れると同時に、体力をすり減らすほどのひたすらに気分を害する不快感で、抵抗する気力が削がれていく。
「…っ!“ROOM”」
「さぁ私も…、てルドルフ!?」
神父が驚くのも無理はない。少年は神父を残し、私だけを担いで島へと降り立ったのだから。
ローの能力も発動までは少しの時間を有するため、スピード勝負では少年が圧倒的に優っている。この二人の戦闘は明らかにローの分が悪い。
呆気に取られているうちに、私はどんどん船から引き離されて行く。
ふと神父がどうして人狼を従えているのかが、分かった気がした。
先ほどの狂気の片鱗がみえた、迷惑な独占欲で、どれほど私を渇望しているかが、上限は分からないが下限は見えた。
少なくとも、一般的な小さなころからの憧れの域は逸脱している。
どうしても手にしたい相手の、苦手なものを従えることで、得ようとしたのだ。その相手、私の自由を。
「辛いと思うけど、ちょっと我慢してね」
「一体何のつもり?」
「ちょっと来てもらいたい場所があるんだ。遠くないよ」
「あんまり妙な真似しないで欲しいわ。ローが心配す…」
続きを口にするのは躊躇われた。
ローは、はたして私を心配するのだろうか?
それは乙女らしい葛藤などてはなく、純粋な疑問だった。
彼と旅を始めてからというもの、物事の優先順位に彼を拠点にして考える事が多かった。もちろん全てが全てというわけではないのだが。それならば既にこの島から出ている事だろう。
とにかく、私が食糧、血を求め女性を口説いたり親しくなることを、ローは全く快く思っていないようで、何度も邪魔をされているが、それ以外で彼が本当に心から望まないことは極力避けて行動している。
かといってあまり優先させるぎると、子供扱いだと言われ機嫌を損ねる。その辺りのさじ加減はなかなか大変だが、それすらも考慮してたまに横暴や高慢になってみせている事に、彼は気づいているだろうか。
もともとそういう性格だろうと、言われるだろうか。確かにその通りだが。
閑話休題。
つまり、彼を心配させるような、少なくとも私が気づく範囲ではあるが、この様な事態になるのは、今回が初めてだ。
初めてだからこそ、吸血鬼である不死身の種族が危険な目に遭遇するかもしれない今の事態に、彼が私の心配をするのか、甚だ疑問である。
恋人の安否を心配するだろうか。
それとも今までの信頼関係から無事を確信しているだろうか。
または油断した私に憤っているかもしれない。
次にあった時、彼は一体どんな反応を示すのだろう。嫌悪感と不快感が多少薄れるほどに好奇心が湧いた。