一つ失念していたことがある。なぜ向かいくる少年をここまで敵視していたかということだ。
ぶつかった瞬間に、悪寒が走り鳥肌がたったから。それだけが彼を敵視する理由だ。
つまり、肉弾戦を得意とする私が、彼と戦えるのか?
そんなことが頭に過ぎったが、ここで引くことは自尊心が許すはずもなく、握る拳と甲板を踏みしめる足に力を込めた。
自分と少年の距離が後わずかというところで、ローがスラリと長刀の鞘を抜き取り、私も一歩踏み出そうとした。そのときだった。
少年は私達まで後五メートルといったところで、急ブレーキをかけたかのように立ち止まり、そしてその勢いと笑顔のまま、私にむかいぺこりと頭を下げたのだ。
予想外過ぎるその行動と触れずにすんだという気の緩みから、踏み出そうとした足がつんのめったが、何とか踏みとどまる。
「お姉さん!」
「な、なに?」
「初めまして!それから一緒に来て!」
「は…?」
またしても予想外にして突拍子のないの言葉。不法侵入者から初めましての後に、一緒に来てくださいと言われるなど、どこの誰が想像出来ただろうか。
あまりにも唐突な行動と発言のおかげで私の頭は現状について行けず、とりあえず話を聞こうと口を開こうとすれば、私より先にローが少年に声をかけた。
「おいガキ。ここは海賊船だ。不法侵入したからには何されても文句は言えねぇぞ」
「え…あ、ご、ごめんなさい…。でも、お姉さんに一緒に来て欲しいんだ!」
このご時世に海賊船と分かって侵入して来るだけはあるらしい。恐ろしいまでに冷たいローの声にも、全く怯む様子もない。ただの怖いもの知らずともとれるが、恐らくそうではない。顔を見るだけで相手が無知かどうかは判断できるつもりだ。
そんな少年へと歩み寄ったローは、おもむろに腕を彼にのばす。
子供相手に能力の発動か、と私達船員は息を飲んだが、ローはその手で少年の頭を鷲掴みにした。
「い、痛いいたたたた!!」
「黙れ」
あまりローらしからぬ行動に、呆気に取られた私達を他所に、ローはその手を離すことなく声を上げる。
「おい、こいつを縛れ」
「ええ!?子供っすよ!?」
「侵入者に年齢なんざ関係ねぇ」
「えぇー…おーい誰か縄あるかー?」
いかにも気が進まないという声を口々にしつつも、絶対なる船長命令によりペンギンによってもってこられた縄で、少年は手足を拘束された。気が進まずとも縛り方はきっちりと縛り付けるあたりは、抜かりない。
不服そうに頬を膨らます彼の目線に合わせるために、私は少し距離を取りつつも、しゃがんで彼の顔を覗き込んだ。
「ねぇ、一緒に来て欲しい、だけじゃ、私は一緒には行けなくてよ。どうして、私を連れて行きたいのかしら?」
「言ったらついて来てくれる?」
「聞いてから考えましてよ」
「………」
「言わなければ、このままよ?嫌でしょう?」
言いながら少年の顔をじっと見つめれば、彼はほんの少し頬を赤らめて俯く。そして言うべきか否かと、口を開こうとし、また閉じる。その反応は、どこにでもいそうな普通の子供だとしか思えない。
「…かわい」
「おい」
「な、何でして?」
名を呼ばれた後に続く言葉はなく、ただ白い目でローに睨まれる。
確かに今の私の言葉は、捕まった不法侵入者に言うべき言葉ではない。しかし元来子供好きである私にとって、目の前の少年のまるで仔犬の様な仕草は、幾ら触った時に悪寒が走ろうとも、可愛いと思わざるを得ないものだった。
「お姉さんこそ、探していた人だって…言ってた」
「…、誰が…?」
ようやくポツリと零した少年の言葉に、嫌な予感がした。
そして、手足を縛られた少年が俯けていた顔を上げ、真正面から私を見つめ、もう一度口を開いた。
「神父さんが」
予想した通りの、今一番聞きたくない言葉に思わず顔が軽く引きつった。
そこで初めて、真近くに船が海上を進む音が聞こえていた事にようやく気づき、急いで立ち上がり先程まで船首像が十字架の帆船があった方角に目を向ければ、もう船は潜水艇の横につけられている状態だった。
「ちょ…何で何も言ってくれなかったのロー!」
「面倒くせぇ、たかが神父だろ。迎え打つ。それに、そいつと神父がグルなら、今更お前を隠したところで意味がねぇ」
「貴方たちも何で何も…」
そこまで言って、ロー以外に誰にもこの島の神父の噂話などしていなかった事にはたと気づき頭を抱える。
案の定何も知らない船員たちは困惑の表情を浮かべている。
兎に角何も説明しなかった事を、今更悔やんでも仕方が無い。と頭を切り替えるよう努める。
「あぁ…間に合わなかった」
不意に下方から聞こえた声に目を移せば、少年は口を尖らせ残念そうとも拗ねているともとれる表情を浮かべ帆船を見つめていた。
「と、いうことは、あの船に神父が乗っているのね?」
「うん。ここに着くまでにお姉さんを連れて行く予定だったんだ。迎えに行かないと…あ、縄ほどいて?」
「馬鹿仰い」
そう言えばしゅんと落ち込み俯く様は、縄をほどいても良いと言いたくなる程、庇護欲をかき立たせるものではあったが、彼を縛るよう言いつけたのが、この船の船長である以上、ほどくわけにはいかない。
それに加え、先程すれ違いざま彼に当たった時の嫌悪感は忘れることは出来ない。不測の事態でない限り彼にもう一度触れようとは思えないのだ。
どうやらローに事情を聞いたらしい船員たちは、欄干付近で潜水艇より小さい帆船を、警戒しつつ見下ろしている。
私も気にはなるのだが、あまり会いたくはない職種の人間の乗った船に近づきたくはなかった。気づけば甲板の扉付近には私と少年だけが取り残されていた。
遠巻きに皆の背中を見つめていると、ローは隣にいた二足歩行のつなぎを着た白熊、ベポに何やら命令したらしく、彼はその巨体を戸惑いを隠せない様子で挙動不審に動かし、そして、
先程まで船に乗り込むために使っていた縄梯子を、帆船へと投げた。
「…は?」
なぜ迎え打つどころか迎え入れる!?
と心中怒鳴り、目を思い切り見開いたが、皆が背を向けるこの状況で、気づいたのは、恐らく縄で縛られた少年だけだっただろう。
「来るなら来やがれ。身の程知らず」
覇気を纏うかのような、威圧感を漂わせるローの静かに放った言葉が、甲板中に響き渡った。
前|目次|次