「あなた達、誰?」
懸命に大人二人と熊一匹を睨みつけ、彼女は震える声を絞り出すように言った。その声は間違いなく助けを求める子供の声と同じものだ。ただ先ほどのように空間に響き渡るような得体の知れなさは消え、そのにいる彼女が確かに声を発している実感のあるものだった。
少女のいたいけな姿に子供好きであるが胸を打たれたのは言うまでもなく、は彼女の前にしゃがみ込み、警戒心を解かせるために同じ目線になりそっと彼女の小さな手を取った。
「貴女の声を聞いて、助けに来たのよ。どうしたの?遭難して困っているの?」
「遭難…?」
「言葉が難しいかしら…この船は迷子になってしまったの?」
「迷子…」
確かめるように言葉を反芻させた彼女は、みるみるうちに表情を曇らせると、新しい大粒の涙を流した。
は少女を安心させるために微笑みながら、彼女の頬に手を伸ばし涙を払いながら問いかけた。
「怖かったわね…もう大丈夫よ。あなたの他には誰かいないかしら?」
の問いに、少女はただ黙って首を大きく振り否定した。
「こんな大きな船に子供が一人、か…?」
「みんな、わたしを置いていったの」
「な、なんて酷いの!!」
そうは叫んだものの、聞けば聞くほど彼女の話はおかしいと気づきだしていた。シャチとベポも同じようであり、の背後から息をのむ声が聞こえた。
置いていかれたという小さな女の子、彼女以外誰もいない船、そして周囲の海に響いた声と突然彼らの背後に現れたこと。
どれをとってもこの船は幽霊船であり、少女が人間ではないことをあることを裏づけているようだ。
いよいよシャチの顔が引きつり、は彼女からゆっくりと手を離す。
「あなた、名前は何というのかしら?」
名は体を表す。相手が人でないならば更にその確率は高い。彼女が何であるか、それを知りたいがための質問だった。
しかし彼女はピタリと動きを止め、目を泳がせ不安気に眉をハの字にして俯いた。
「名前…?」
「そう、名前よ」
「名前…ずっと呼ばれてなかったからわすれちゃった…」
「そんなに長い間…」
生活力のなさそうな少女がそんなに長い間生きていられるはずはない。やはり幽霊かとシャチとベポは顔を青くした。
そしてはただ哀れみの目を彼女に向ける。
名前を忘れるほどの長い時間。は決して名を忘れるという事はなかったが、気が遠くなるような長い時間というものを彼女自身も痛いほど体験してきた。
その長い時間をたった独りで、船という狭い空間で過ごすというのならば、この世のものならざるとも、気も狂うというものだ。
「とっても長い間ずっとひとりだったの…。船長は必ず戻るっていったの。だから…わたしはずっとまってたの。でも…淋しいよ…」
涙する彼女に、気の利いた言葉などかけられるわけもなく、彼らはただ見つめることしかできなかった。
だがしかしいつまでもこうしているわけにもいかない。
「どうしよっか…」
「とりあえず、船長に指示仰ぐか?」
「せん、ちょう…!?」
シャチの言葉に過剰反応し勢いよく顔を上げ、明らかに羨望の眼差しを向けられたシャチはたじろいだ。彼の言う船長は彼女の求めるそれではない。
どう言うべきかと突き刺さるような視線を浴びながらシャチは思案する。
「えぇ、っとだな…おれたちにもお前と同じように船長がいてだな…」
「せんちょうがいるの!?」
「あー…なんつえばいい?」
そう問われたとベポはただ肩を竦め、途方に暮れたシャチが肩を落としたと同時だった。
ブゥーン、という独特の音と共にオペオペの実を口にしたものしかできない薄い球状の膜が展開される。
そして少女の背後にその能力者たるローが唐突に姿を現した。
いかにも痺れを切らしたと言わんばかりの不機嫌な面持ちで。