特に急ぐでもなく、ただその長い足を通常より多少ではあるが早く動かしローが戻った船には、甲板からローを見つめるの姿があった。
遠慮気味には手を小さく振っている。ローは能力を使い彼女の隣に一瞬で移動した。
瞬間移動で突如隣に現れたローに、は目を見開き一歩後退ったが、二三度瞬きをすると、落ち着きを取り戻したのか、ゆっくりとローへと一歩詰め寄った。
「おかえり、なさい」
「あぁ。体調に変わりはないか?」
「え、えぇ。大丈夫。あの…、何処に行ってたの…?」
「気になるか?」
意地の悪い言い方と自覚しつつ、ニヤリと不適に笑んで見せれば、はパッと頬を紅色に染め上げて俯いた。
『そうね、気になるわ。だから言いなさい』
そんな言葉が帰ってくると何処かで期待し、多少の落胆を覚える自分自身に気づき、ローは無意識に苦笑を漏らす。
「お前のその状況をどうにかする術を探しに、だ」
「………」
「聞いておいてそんな顔するんじゃねぇよ」
何も言わずただ紅潮の名残のある顔を曇らせたの頬に、ローはそっと手を添えた。
「手がかりは、なくはない。あまり気を張るな」
「今のままじゃ、ダメ…?」
「………」
「記憶のない私には価値はないの?」
の思いもよらぬ問いかけにローは目を見開いた。
不安気に目を潤ませ、自身なさ気に萎縮する。それは彼女の記憶がない不安から来るものだと、ローは思い込んでいた。
だが彼女は、今のままではだめなのかと、記憶を戻ることを拒否している。
自分の考えは独りよがりでしかないと、己を否定されたように感じたローは拳をグッと握りしめた。
「手をこまねくのは、柄じゃねぇ」
「……変なことを聞いたわ。ごめんなさい…」
「いや……」
「今のは、忘れて…」
眉をハの字にして少しさみし気に微笑んで見せたは、頬に添えられたローの手に自らの手を添え、体温を感じいる様に目を瞑った。
理由はどうであれ、不安である事に変わりはないであろう相手に気を使われた事に、罪悪感を覚えつつローはにされるがままにただ応じる。
「昔、お前の記憶なんてなければ良いと、思っていた事がある」
「………?」
「何百年と生きてきたお前の記憶さえなければ、…見えねぇ壁、近い様で遠くに感じる距離が、なくなるんじゃねぇかと、思った事がある」
「………なら、今は、それが叶ったという事ね」
確かにそう思っていたはずだった。
しかし実際に今の彼女を目の前にして、果たして本当に見えない壁や、彼女との距離が縮まったと言えるのか。
どうせならば自分と過ごした時間だけは、記憶に残っていれば。そんな都合の良い思いばかりが浮かび上がる。
しかし彼の言葉にあからさまにホッとした表情を見せたに、その事実は伝えることはしなかった。
「兎に角おれがどう思おうが、お前は自分の望む様に、好きなように振る舞えばいい。何も、心配するな」
「私の望みは、此処に…、この船にいること。ただそれだけ…」
懇願する様にローを潤んだ瞳で見つめたは、目を伏せると溜まった雫がこぼれ落ちる前に、ローの胸元に顔を埋めた。
「本当にそれでいいのか…?」
そうではないだろう。幾ら時間を費やそうと、どれだけの人間を利用しようと、帰りたい場所があったのではないのか?
口をついて出そうになった言葉を飲み込めば、ただの確認でしかなくなったローの問いかけには胸の中で小さく頷いた。