すっかり気落ちしてしまったを部屋まで送ったローは、その足で邸にへと向かった。
常識から考えて訪問するには些か早い時間帯ではあったが、来客として向かうわけではない彼にとって、それはどうでもいい事だった。
相も変わらず大きすぎる邸を遠くから苛立だしげに睨む。
表からではなく能力で少女の元まで移動して不意を狙うべきか、と能力発動の言葉を口にしようとした時、邸の方向から一人の人影がローの視界に入った。パタパタと彼に向かって手を振り、動き辛そうなボリュームのあるスカートを見事に捌きながら歩く女は、正にローが今会いに行く予定のその人物だった。
「また会いましたわね」
「何の用だ」
「あら、貴方が私に用があったのではなくて?」
「………」
実際彼女の言う通りではあるが、まるで見透かされたような行動がローを煽る。
人を見下す事に慣れたような、少女の年齢には似つかわしくない笑みを浮かべ、彼女は不機嫌を露わにするローをじっと見つめる。
「随分と気が立っている様ですわね。流石にこのままじゃ刺されるかしら?さぁ、用件を仰い」
尊大な口の聞き方ではあるが、言葉から察するに身の危険は恐れている事に気づいたローは、能力を使う事もなく、ただ鞘から抜いた鬼哭の刃を少女の首筋に近づけた。
確実に殺す事のできるただの凶器に、笑みを浮かべつつも少女の額に汗が伝った。
「あいつをあの状況に陥らせた元凶は何だ」
「彼女自身よ」
「刺されてぇ様だな」
「……本当に、彼女自身が望んだのよ。私は巻き込まれただけ。昨日も言った通りよ。どうすれば、貴方は分かってくれる…?」
少女は笑みを消し去り悲痛な面持ちで俯いた。
「知らねえ様だな。あいつは女には限りなく甘い。自分の望みでてめぇに迷惑かけるなんざありえねぇ」
「なら、私を殺してみる?元凶が私ならば、戻るかもしれなくてよ?」
ゆっくりと顔を上げ、少女は鬼哭の刀身を掴み、首筋寸前でピタリと止める。
意思の強い瞳に見つめれたローは、どこか既視感に襲われながらも、少女の手から血が流れている事に気付き、忌々し気に大きく舌打ちをする。
「手を離せ」
強張った少女の手は離れるのにすこし時間を有した。
少し付着した血を払い刀身を鞘に収め、傷ついた手を庇う少女に問いかけた。
「威張り散らしておきながら、簡単に死のうとするやつほど黒幕じゃねぇ。ただの捨て駒だ。違うか?」
「……全てはエルドラドの為よ」
「結局そいつか。何処にいやがる」
少女は力なく頭を振った。
「…ただ、暫く待って。出来る限り穏便に済ませたいの。この島を出ないで。私が言えることは、それだけ」
「ならてめぇの心臓をおれに預けろ」
「……!」
「話を信じて欲しいなら、それくらいの誠意は見せろ」
「逆に、それで信じて貰える、と言う事ですわね…」
少女は躊躇いと戸惑いでどうすべきかと手を顎に当て考え込む。
その時だった。背後からスッと執事の男が音もなく現れた。
またしてもローに気づかれないうちに近くまでやって来た彼にローは内心驚いたが、男はローに目を向ける事もなく、少女の血の滴る手にハンカチを当てた。
「様、ご無理なさらないで下さい」
「ええ、悪かったと思ってる」
「それに、心臓を預けるなどと、訳の分からない事もおやめ下さい」
「貴方いつからいたの?」
「少し前、です」
「おれはどっちでも構わねぇ。ただその場合、お前にとって不利な行動を取るだけだ」
ローがそう告げると、またしても少女は思案するように黙り込む。沈黙が降り立つ中を、場違いな朝の爽やかな風が吹き抜けた。そして意を決したように顔を上げた少女は縁然と微笑んだ。
「宜しくてよ」
「…様」
表情や声に全く抑揚のない執事が咎めるが、少女はキッと彼を睨みつける。
「事後承諾したとはいえど、望んでもないのに巻き込まれたのよ?口出す権利はないのではなくて?特に、貴方には」
「………」
「交渉成立だ。てめぇの言う通り、戻るまでこの島から離れねぇ"ROOM”」
ローの能力が展開されたと同時に、彼は少女の胸元に指を尽きたてた。
「メス」
ローの腕の貫通した少女の身体から抜け落ち、彼の掌に収まった臓器に、執事は目を見開き、少女はガクリとその場に膝を着いた。
暫くは息を多少荒げ胸元を押さえていた少女は意識を手放し、倒れこみそうになったところを執事が抱きとめた。
「何をしたのですか」
「そのうち目覚める。起きたら伝えろ。島には留まりはするが、何もしねぇとは言いかねる、ってな」
「…」
何か言い返してくるかとローは執事を見下ろしていたが、彼は沈黙を守り少女を抱きかかえ立ち上がる。そしてローに一礼すると踵を返し邸にへと足を進めた。
主の危機にあの態度かと些か訝し気に彼の背中を見るともなしに見送っていたが、ローも船に戻るべく踵を返した。