夜明けと共に自然と目が覚め起床するのは、ローにとっては久しぶりの出来事だった。原因は心にしこりがあるからだろう事は明白だった。
二度寝するには目が冴え過ぎていた為起き上がり、身だしなみを大雑把に整える。
まず腹ごしらえをして、通常の彼女の起床時間を少し過ぎたあたりにの元へ向かおうと決め、ローは食堂へと足を進めた。

近づくにつれ漂う香しい匂いに、もうすでにコックは起きているのかと頭の片隅で考えつつ食堂に繋がる扉を開いた。
するとそこには、銀の長髪を頭部の上部で一つにまとめ、懸命に働くの姿があった。ゆっくりと近づき、カウンターの奥にコックがいてそれを手伝っているのかと目を凝らすが、そこには彼女一人しかいない。
ローは思わず顔を引きつらせた。


「…………何をしている」
「え、あ、おはようございます…あの、何か役に立てる事があればと思って朝ご飯を…」


香しい匂いがローの空腹感を増長させ、カウンターの内側にはしかいないこの状況から、彼女が調理していた事は伺えたが、ローの脳は理解するのを拒んでいた。

理由は非常に簡単な話であり、は料理がからきし出来ないのである。

それは彼女が固形物を口に出来ない、食べる必要のない種族だからだ。彼女にとって食欲をそそる事のない匂いと、味見が出来ないというハンデは、人が思うより大きな壁らしい。そしてその上に、あまり気の長くない性格のと料理は、まさに最悪の相性だ。しかし本人は何度も挑戦し、作ってはローを実験台にしたがった。


「あの、何かまずかった…?」


何がまずいと問われれば、出来上がるものが不味い。と普段ならば口に出しただろうが、ローの顔を伺い焦りと不安が隠せない彼女にそれを声に出す事は憚られた。

そしてローを戸惑わせる要因がもう一つある。
匂いはまともである事だ。
漂う匂いは至って普通の朝食の定番、魚が焼ける匂いと米が炊ける匂いだった。


「……、いや、何でもねぇ。ただ、病み上がりにわざわざ無茶するもんじゃねぇよ」
「でも、何か、貴方の為に役に立てることが……、ごめんなさい」
「別に謝ることじゃねぇ」


なぜ彼女が役に立てる事、という物に固執するのか、ローには分かりかねた。その上彼女にとって料理と役に立てる以前の問題の物、であるはずだ。

役に立てる事、などと以前の彼女は考えていたのだろうか、とローはふと考える。
出来る事を出来るままに、ただ自然に立ち回っていたようにローには見えていた。奔放に見えてその実、ローが本当に困る様な事は避けて通り、そしてローが行動しやすい様にサポートをする。
そんなローのよく知る彼女が、彼の脳裏を横切った。

しかし目の前の彼女は全てを忘れている。違和感がローを襲うが、忘れているからには仕方が無い、と脳裏に過った彼女を一時的に振り払うべく二、三度軽く頭を振った。


「………、朝飯は、焼き魚と飯か?」


今は目の前の彼女と向き合うべきだと、些か不自然ではあったが話題を変えるべくに問うた。


「ええ焼き魚とおにぎりと、後お吸い物も。沸かし直さないと…。魚が多くてパンが殆どなかったから和食に…」
「あぁ……」


自分が食べられないのが原因で朝昼夜の食卓に並ぶ事がないから、とはさすがに言うのが躊躇われ曖昧に濁した。


「味見、したのか…?」
「え…?えぇ勿論。っていっても、魚はまだ焼けてないし、お吸い物だけだけど…」
「なるほど」
「…?」


どこか戦々恐々との手料理を軽く睨みつけているローを困惑気味に見つめながら、は先ほどまで握っていたからであろう、ご飯粒のついた手を口元に近づけるとごく自然にそれを口に含んだ。


「!?おま、何をしている!!」
「え、え!?」


狼狽えるの側に寄るべく、ローがカウンターの内側に入ろうとする。
そうこうしている内に、ただ狼狽えるだけだったは呻き声を漏らすと、その場に屈み込んだ。

彼女に駆け寄ったローは腕を引き立ち上がらせると、シンクの側に直様移動させる。は苦しそうに呻きながら、時折咳き込みつつシンクに嘔吐した。
痛まし気でそれでいて訝し気にを見つめながらローは彼女の背中を摩った。


「な……、…ん、で?」
「こっちのセリフだ。吸血鬼のお前がたった米一粒でも固形物を食えるわけがねぇだろ」
「何、それ」
「………」


吸血鬼だったことは覚えていたのに、生物の基本情報が完全に抜け落ちている。その事実にローは肝がスッと冷えていくのを感じていた。
不死身である彼女の身体は、それでいて弱点が非常に多い。だからこそ彼女は人間の庇護者を必要とした。

が自ら身を危険に晒す前に、どうにかしなければならない。
ローは項垂れるの背中を見つめ、彼女の肩をそっと抱いた。



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