船までの最短距離を能力も駆使つつ全力疾走し、辿り着いたローはまず何処よりも先に、先ほどまでが居た診察室へと駆け込んだ。
扉を勢いよく開けば、そこにはギョッとした顔をローに向けるがベッドの縁に座っていた。
自分が来た事に驚いている以外に、変わった様子のない彼女に安堵し、ローは能力と疾走による体力の消耗に、閉じた扉にドカリと身体を預けた。


「思わせぶりやがってあのアマ…」
「だ、大丈夫ですか…?」
「大したことはねぇ。…お前こそ気分はどうだ?」


多少乱れていた呼吸を整え、彼女の隣へ触れるほど近くにへと腰かければ、は気恥ずかしさからか、紅潮させた顔を俯かせた。ほんの少し覗かせる顔が、はにかんでいるのがローの目に留まり、見た事のない彼女の表情にローは一瞬目を見開いた。
それは改めて彼女から記憶が消し飛んで知る事実を、ローに思い知らされたような気にさせた。


「大丈夫です。ありがとうございます」
「やめろ」
「え…?」
「その声で、敬語なんて気持ち悪りぃだけだ」
「あ、はい分かりまし…、じゃない。えぇ分かった」


焦ったように言い直したは、ローの顔色を伺うように彼の顔をチラリと見やる。
気の強そうな切れ長の目に宿る、真逆の自身のなさそうな表情のギャップに、ローはどうしようもなく調子が狂うのを感じていた。


「元々はそういう性格だったのか…?」
「え…?それはどういう……?」
「吸血鬼になってから性格が変わったとお前は言っていた。…吸血鬼だってことは分かってるか?」
「え、えぇ、そうね」
「そこは覚えてる、か。いや、感覚的に分かるのか…?」
「そう、かも。そういうのは意識しないでも、分かるものよ。多分」
「人外の記憶喪失の実例なんてねぇし比べようもねぇからな…」


いっそベポが記憶喪失になれば分かるか?と物騒な考えがローの頭に過ったが、どうすれば記憶喪失に陥るかなど、明確な答えがあるわけでもない上に、どうすれば戻るかも分からない危険行為を、彼に行う訳にもいかない。


「まぁお前曰く、吸血鬼になってからはその本性からか気性の荒さが元の性格に追加されたせいで妙な性格になった、らしい」
「え、でも、別に気が立ったりとかは、しないわ」
「勘違い、か…?」


『感情の起伏が激しい割には、感情に頓着できないの。たまに怒りに身を任せる事なんて昔はなかったし、きっと吸血鬼の本性がそうさせているのだわ』


以前自分の妙な性格についてをローに語るの言葉が、以前の彼女の声で再生され、ふっとローは懐かしげに口角を少し上げた。
彼女はそれを信じ切ってローへと告げていたからには、本当に生前からと比べると性格に変化はあったのだろう。
その上、吸血鬼が本性を隠せない満月の夜は、確かには気性が更に荒くなる。ローもそれは確認済みだ。
ローはまた相変わらず不安気に彼を見つめる彼女をジッと見つめる。
今のはもしかすると、人間だった時の、本来の彼女の姿かもしれない。


「あの、一つ聞いてもいい?」
「何だ?」
「ここは、海賊船なんですよね。…、それならば、女である私がこの船に、乗る…理由は…」


語尾が掠れる様にして消えいる。聞きたくとも口にするのが憚れるのだろうが、その内容は有り有りとローに伝わる。


「つまり娼婦や情婦だったのか、って事か。記憶がねぇ割に妙な知識はあるんだな」
「………っ」
「安心しろ夜中に急に襲われるなんて事はねぇよ。だいたいお前に単純な力技で叶うやつはこの船にはいねぇ」
「え?」


パチパチと瞼をはためかせキョトンとするの頭を、ローはポンと軽く撫でた。


「まだ暫く安静にしてろ」


そう告げるとベッドから立ち上がり、の視線を感じながら診察室を後にした。

自室に戻る為に足を進めるローは、ただひたすらに違和感に襲われていた。
まるで別人と話している、そんな違和感がどうしても拭えない。
記憶がないのならば当然かもしれないが、その違和感にどうしても苛立ちが見え隠れする。そしてその事実に、また嫌悪と苛立ちが募る。
堂々巡りする思考に思わず頭を抱えたくなった。




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