その日は日差しが強かった。
自主的に自室にではなく船長室に篭っていたは、窓から差し込む日の光を恨めしげに睨んでいたが、ふと思い至ったかのように窓に歩み寄るとそっと覗き込んだ。


「いっ…つぅ」


本日の日和は冒頭の通りであり、当然の目に飛び込んだのは、彼女の苦手とする強い日差し。
すぐに窓から離れた彼女は、焼かれたように痛む眼球を瞼の上から軽く抑えながら、変な気を起こすのではなかったと後悔しつつ、目薬を求めて自室に戻ろうと船長室を後にした。

しかし部屋をでてすぐにばったり出くわした、今し方目を痛めた彼女には眩しい真っ白な毛皮の上に明るいオレンジのツナギを着たベポによってその足を止められる。


、フラフラしてるよ?大丈夫?」
「大丈夫よ?そんなに覚束ないかしら?」
「うん。なんかまるでちゃんと見えてないみたい」
「あー…」


まさにその通りであったが、わざわざ肯定して面倒を起こすほどのもではないだろう。と、お茶を濁すだけで退散しようとはベポの横を通り過ぎようとするが、彼の大きな腕で行き先を阻まれる。


「キャプテンに見てもらおうよ」
「そんな大げさなことじゃ…」
「おれが、何だって?」


の行く手を阻む巨体の後ろから聞こえた声に、一人と一匹は同時に声のした方へ視線を移した。
ベポが身体をずらしてからようやく彼女の視界に入ったローは、彼女とかっちりと目を合わせると、ほんの少し驚いた様に目を見開いた。


「目が赤いな」
「力なんて使ってなくてよ?」
「そうじゃねぇ分かって言ってるだろ」
「キャプテン、ちゃんと見えてないみたい」
「何…?」


だからそんな大げさな話ではないと切り出そうとする前に、ローは素早く彼女の顎を軽く掴むと、長いまつげに縁取られた伏せ目がちの切れ長の目を覗き込んだ。
あまりにも早すぎた彼の行動に、は思わず見つめられた目に力を入れてしまい、炎症を起こした目は簡単に涙を溜め込み、大粒の雫となって頬を伝った。


…!?」
「ベポ、の部屋の机の上に目薬がある。持ってこい」
「アイアイ!」


ドタバタと掛けて行くベポの姿は、ローによって顎を掴まれた状況では、は見送ることはできなかった。


「また馬鹿やったな」
「貴方にはすぐ分かってしまうのね」
「いったい何年一緒に居ると思っている」
「それもそうね」


ほんの少し会話をしているうちに、遠ざかった大きな足音が、早くも近づいてくる。慌てた様子ですぐさま戻ったベポは、彼の手に持つには小さすぎる目薬をローへと手渡した。


「お前は持ち場に戻れ」
「アイアイ!キャプテン!」


立ち去るベポを見送ることもなく、ローはすぐそばにある彼の自室にを押しやり、自らも自室に身体を素早く滑り込ませる。
目が余り使い物にならないからか、たたらを踏んでいるの背中をローはトンと押し、ベッドへとダイブさせると、彼女の上へ跨った。


「確実に目薬さす格好じゃないわよ」
「顔だけこっち向け」
「貴方が退けば話は早いのよ?もしくわはその目薬を頂戴」
「却下」
「却下を却下!せめて仰向けさせて…」


ちらりと少しだけローへと顔を向けたは、泣きはらした目と切なげに眉をハの字にさせてローを垣間見た。明らかに涙が流れているのを良い事に、それを利用しているといった程である。
しかし、彼女の行動はわざとであると分かっていても、従わざるを得ないほどの効果がある。
ローは息を詰まらせ、数秒ピタリと止まり微動だにもできなかったが、深呼吸ともため息ともつかない息を吐くと、彼女の上から退いた。
これ幸いとは仰向けになるでなく、ベッドの端に座るローの横へと並んで座った。その目からは相変わらず大粒の涙がこぼれ落ちて居る。


「…心臓に悪りぃ」
「涙は女の武器って言うし?」
「大安売りな武器だな」
「魔が差したときだけよ」


そう言ってが首を反らし上を向けば、何も言わずローは彼女の左右の瞳に丁寧に一滴ずつ目薬を垂らした。


「で、今回は何に魔が差した?」
「いつもと同じ。陽射しに焦がれただけ。今まで無理だったとしても、今日からは大丈夫かもしれない。なんて、いつもと同じ様に魔が差しただけ」
「凝りねぇな」
「生憎諦めは悪いのよ。何百年経とうがね」


両目を瞼の上から手の甲で軽く押さえつつ、は自嘲気味にふっと笑みを零す。


「…、の、そういうところに惹かれたんだったな、そういや」


唐突にローの口から小さく呟かれた言葉に、は思わず目を見開き彼を凝視した。
そしてその瞬間またしても涙が彼女の頬を伝いだしたため、ローはの目を瞑らせるために片手で覆う。


「び、ビックリさせないでよ。何いきなり」
「…これだからお前には直接的な言葉を言いたくなくなる」
「言わなくて良いわよ似合わない…!」
「諦めが悪くて、前進と願うことをめないが好きだ」
「だから言わなくてい…!嫌がらせ!?しかも棒読み…!」


ローの手首を掴み目から引き剥がし、いったい彼はどんな顔をしながら愛の言葉を紡ぐのだろうと、が瞼を上げようとしたところで、今度は後頭部に手を添えられ顔面をローの胸板に押し付けられる。


「だからこそ側にいて欲しいと思った」
「随分な言葉の出血サービスねぇ…。大安売りの武器の効果?」
「さぁな」


やはりその珍しいリップサービスを口にするローの表情が気になるは、彼の胸板から顔を離そうと試みようとする。しかしその瞬間、バン!と勢いよく開いた扉に気を取られ、ピタリと動きを止めてしまう。


「船長!を泣かせたっていったい何、が…!?」
「ってあれ、もい…、え!?」


彼らの言葉から察するに、ベポから些か事実とは異なる事情を聞いたであろうペンギンとシャチが船長室へと無遠慮に侵入する。
そして妙な言葉の区切り方をした事には疑問を覚えたが、不意に彼女の頭に添えていた手が離れ、ローが立ち上がる。ようやく辺りを見渡せたに、ローの背中と、慌てふためくペンギンとシャチの姿が目に入った。


「ノックもなしに入るんじゃねぇよ…!」
「い、いや何も困るような状況じゃなかったっすよね!?」
「そうそう!船長の尋常じゃない穏やかな顔とか見てないっすよ!?」
「バッカシャチ何墓穴ほって…!」
「…気を楽にしろ。すぐ終わる…!」
「すいませんでしたああああ!!」


脱兎のごとく逃げ出した二人と、それを追いかけ部屋を後にしたローを、はただポカンとしながら見送った。
そしてふと我に帰ったように、フワリと微笑んだ。


「貴方がいたからこそ、前進も願う事もやめないでいられるのよね…」


慈愛に満ちた声色で呟かれた言葉は、誰に聞かれる事もなく小さく響いた。



眩うほどの願い忘れる事なかれ





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