島を離れた潜水艇は、霧の海に入る前に海中へと潜った。
船員達はそれぞれ各所の仕事場へと着いてはいるが、手に入った多くの財産に心ここに在らずといった状態の者が多い。
それでも一部の責任感の強い船員によって船は航路を順調に進む。その彼らに針路を任せたローは、自室のソファに座り、持ち込んだ黄金で出来た調度品を目の前の机に置くとただぼんやりと眺めていた。
するとそこにノックもなしに扉を開き、無言のまま侵入する者がチラリとローの視界に入る。確認せずとも船長であるローの自室に無遠慮に入る者はしかいない。
そんな彼女を咎めることもせず、変わらず調度品を見やるローの隣には腰を下ろした。


「意外よ」
「何がだ」
「もっと怒っているかと思った」
「……そうだな」
「貴方も成長したということかしら?」
「お前への執着心が薄れたから、とは思わねぇのか?」
「あらそれはないわ」
「随分な自信じゃねぇか」


でもそうでしょう?とまたしても自信のみが込められた言葉とともに、はおもむろにローへと寄りかかった。その拍子にサラリと流れローの足にかかった絹糸の様な銀の髪を、ローは指先で摘み弄ぶ。


「やっぱり自分の身体で貴方のとなりが落ち着くわ」
「そいつはよかったな」
「ええ、本当に」


そして口を噤んだは頭をローの肩にもたれかけると瞼を閉じた。
慣れた重さを感じる肩を見下ろしながら、ローはふとに問いかけた。


「なあ…、人をその人とする定義とは、お前は何だと考える?」
「藪から棒に難しい事を聞くわねぇ。…そうね、私は、……うーん、…経験とそれに対する感情だと思うわ」
「………」
「経験がその人を造るけれど、同じ経験をしてもそれに対する感情は人それぞれよ。だからその二つがあって、ようやくその人と定義出来るのではなくて?」
「なるほど」
「貴方はどう思うの?」


問い返されたローは黙したままの髪からするりと手を離し、彼女の膝に置かれた手を取ると、自然に指を絡ませた。
そして暫しの沈黙の後、言葉を選ぶ様にゆっくりと口を開いた。


「知識と…影響、だな」
「知識は分かるけれど、影響?」
「お前の言う経験に似ているな。…人でも、本でも、何だっていい。ものから受け取った影響だ。という吸血鬼から受けた影響がなければおれとは言えねぇし、おれから受けた影響のないお前だって、おれの知っているとは言えねぇ」
「…あぁ、なるほど。貴方の言う分かった事ってそれなのね」
の多すぎる経験も…、それもなんだな」


ローがに感じる、生きた時間の長さ、経験と感情の違いによる見えない壁。それはローがから受けた影響であり、それすらと定義するものである。
どれを失ったとしても、それはもうローが愛するではなくなってしまうのだ。
なくしてしまったと勘違いして初めて気づき、結局は消えていなくて安堵している自らにローは自嘲の笑みを浮かべた。


「全部ひっくるめて私…ね。でもそれなら、本当に記憶喪失になったらどうしまして?」
「その時は、おれからの影響と、それに対するお前の感情に期待する、としか言えねぇな」
「そうね…感情、感性は変わらないと、信じたいわ」
「今回の件はいい教訓になった…、が」


不自然に、それでいてまだ何かある事が明確にわかるように言葉を止めたローは、自らに寄りかかるに強い眼差しを向ける。
視線と沈黙を不自然に思ったのか、は瞼を開き顔をあげるとローを見つめ返した。
暫くただ見つめあっていた二人だが、ローは不敵な笑みを浮かべ、元々近いへの距離を更に詰め寄った。


「必要以上に引っ掻き回した代償は払ってもらわねぇとなぁ?」
「な、何よ。エルドラドがいとも簡単に手に入ったのは私のおかげよ?怪我だって私しかしていないし」
「よく知らねぇ女の相手をさせられた上に随分と心労を募らせられた」
「だ、だからそれは悪かったって言っているじゃない…!」
「言葉が欲しい訳じゃねぇ」


顔を引きつらせ、説得は無理だと諦めたらしいは絡められた指を勢いよく解きながら、バッと立ち上がり数歩ローから後ずさった。


「気を楽にしろ」


ローの常套句を皮切りに、船中を巻き込んだ攻防戦は開幕する。
そして渦中の二人の普段通りの繰り広げ間られる大袈裟な痴話喧嘩に、ようやく日常が戻ったかと、船員達も安堵の表情を浮かべるのだった。




エルドラドの繋囚




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